平成14年10月12日−16日
    目的  厚岸の牡蠣とニセコのとほ宿
    宿泊地 厚岸、釧路
ニセコ

納 沙 布 岬 へ 
10月13日
NO5 2日目

 クリックすると大きくなる風景写真も有ります。

 今日も天気がいい。44号線をひたすら東へ。空が広い、建物はほとんどなく草原、湿原が続く。道は高速道路の様に車が流れて行く。こっちもずいぶん速く走っているのに抜かされる。いったい何キロであの車は走っているのだろうか。こんなに走れるのならば、やっぱり北海道には高速道路は不要だろう。首都高よりよっぽど流れていく。大きなトラックもブイブイと抜かして走っていく。

茶内酪農展望台 茶内酪農展望台に到着。遙か向こうから見えた展望台で、高い。息を荒げながら登る、風が吹くと足元からゆれるのは怖い。真下を見ると久々に足がすくむ思い。
 昨日の展望台も今日の展望台もゼイゼイハアハアしながら登ったが、その価値は充分に有った。
 360度のパノラマには感激、ぐるりと一回り見えるのである。地平線だ。すごい。北海道はでっかいどう。いい表現が見つからない。ただ凄い。こんなの見たこと無い。と、トップページの写真となります。この展望台が何メートルなのかと周りを調べてみるが見付からない。

展望台からの景色 昨日の湿原もすごかったが、今日のがもっとすごい。見ていて飽きない。地球は丸い。午前中の陽に照らされて草が光っている。大地の気を充分に浴びる。
 根室まではほとんど人家がない、広大な牧場風景に心洗われる。道東の 中では雰囲気がずいぶんと違う風景だ。
 ここは、休憩所でもあり、トイレも売店もある。時間が早いせいか売店はまだやっていなかった。
 ここには不思議な物があった。ドライブスルー公衆電話である。考えはすごいけど、携帯電話が普及してしまったいまの世の中ではほとんど使われないのだろうなぁ。立って使うには低すぎるし。ふむ、子供にはいい高さか。車椅子では高すぎるかな。
 根室までは壮大な風景が続いていた。何度か車を止めて写真を撮る。今まで訪れたどこの北海道とも違う、独特な雰囲気を感じる。やっぱり北海道は広い。
風蓮湖の△パック牛乳 いつまでも建物のない風景が続いていく。そして、時たま建物が出現。人間は見なかったのに、牛だけはたくさん見た。
 風蓮湖があるスワンの道の駅。双眼鏡が常備されているようだがスワンじゃなくて、鶴が二羽歩いている姿が見える。
 旅に出ると、どうしても地元の牛乳を買いたくなる。ここでも買いました。買った三角牛乳は美味しかった。これぞ牛乳って味。低温殺菌であった。あの宿でもこんな牛乳を出せばいいのになぁ。と思ってしまった。
エトピリカの剥製 車の流れに乗って10時40分には納沙布岬到着。空は晴れているが、遠くの海はガスっている。これが納沙布岬か。なぜか「来ちゃったなぁ。」と思う気持ちが沸いてくる。
 正面の海に棚の様に見えているのが、水晶島、すごく近い。でも、隣の国なんだねぇ。望遠鏡で見るとロシアの監視塔が確認できる。望郷の家の望遠鏡は無料。20倍30倍の望遠鏡でのぞくと、貝殻島などは手に取るように見える。
 望郷の家で北方領土視察証明書をもらう。こんな物が有ることも知らなかった。望郷の家で珍鳥エトピリカの姿は初めて見た。と言っても剥製である。
 エトピリカの店へ。エトピリカグッズがたくさん売られていて、オリジナル商品もエトピリカの生写真もある。
 おじさんの話によるとエトピリカは戦前には灯台の崖にたくさん住んでいたという。戦後はそこを護岸工事をしたので、海の島へ移り住んでしまい、今では択捉島にでも行かないと見る事はできないという。
 北方領土は返還された方がいいとは思うが、今のままの自然を保って欲しいと思った。 見方を変えると、戦後の開発期にソ連に預けて置いたので、戦前のままの状態で北方領土は残ったのだろう。
 もし、あのまま日本が占領していたら、エトピリカの住むところは無くなっていたかもしれない。と私は思う。 日本に返還されてもロシアと日本と自然が一緒に生活出来る所になれないものだろうか。地球の財産として。
白い鳥居 2時に霧多布。外から見ると蒲鉾のような平な島。エトピリカの営巣地が有ると言うので、灯台の先まで行くが島にいたのは、同じ黒い鳥でも海鵜のようだ。風がけっこう冷たくなってきた。
 ここにもタンポポと白爪草に紫爪草が咲いている。秋なのに春の花が咲いている。北海道の四季は四季じゃないだろうか。それに不思議なのは、ここら辺の神社の鳥居が白いこと。白い鳥居は何を意味しているのだろうか。全国でも白い鳥居は有るのだろうか。富士山のは白かったなぁ。
ここ