代行運転って何だろうと考えていたら、電車が続けざまに正面衝突をしたあの京福電鉄だったのね。知りませんでした。
待ち合わせの永平寺行きのバスはまだ来ていない。駅舎には工事道具が置いてあるし、線路はすっかりさびている。この路線の復活は有るのだろうか。
ここで、友人にメールを送ると、神奈川は強風だという。こんな風だから下界の景色もよかったのでしょうと。
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永平寺の山門前が終点。運転手さんが帰りのバスを確認してくださいという。帰りのバスは電車の駅の所だが、山門前には大きな時刻表が有ったのです。
しかし、直通急行バスは土日祝にしか運転していない。ここ永平寺から東尋坊への直通バスは無いショッーーク。
まぁ、仕方ない。と山門から中へ入るのであった。
入山券は自動販売機。400円。その横にはコインロッカーがあり。リュックを背負いながらだと肩が凝る。100円とはラッキーと荷物を入れる。
スリッパに履き替え、自分の靴をビニールに入れて、中へ入っていく。経納所に御朱印帳を預けて中へとはいる。御朱印帳は名前と電話番号を書いた紙が引換券となる、
これだけのお寺だと一日どのくらいの数の人がここへ御朱印帳を預けるのだろう。
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受付では僧侶が注意事項を説明する。写真は自由に撮っていいとのこと、こういう文化財で自由に撮影していいとはあまり経験したことが無い。但し僧侶は撮ってはいけない。と言う。
ちょうど12時にだったので、僧侶は昼食を摂っている時間で食事も修行の場であるので、講堂の前を通るときは、話し声はもちろん、足音も出さないようにお通りくださいと言われた。
前にここを訪れた人の話では、僧侶が案内してくれると言っていたが、やはり団体で無ければ、ご案内はないのだろう。私は1人で回ることになる。
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ここが、大晦日に「行く年来る年」に出てくるお寺か。って、知識が低いでね、私。しかし、そこかしこから漂う雰囲気は禅寺の歴史を感じる。
その昔お寺の力が強かったとき、ここはすごかったんだろうなぁ。僧兵はどのくらいいたのだろう。
自分の無知さ加減がでてきてしまうのですが、大した知識もなくここに来てしまいました。ここに来てから知ったことは、今年は道元禅師750回大遠忌。すごいですね。この間78世と言うが、ということは、78代の住職が勤めたことになる。この歴史の長さはすごいです。
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750余年の間には焼失もあり波乱の時代も有ったのですが、この寺は何を見つめてきたのでしようか。戦国の時代に何を見てきたのでしょう。信長はここを訪れたときに何を思ったのでしようか。 家康は何をしたのでしようか。と感慨にふけってしまう。 |
ここが、講堂か。と見ていたが、中が見えないから僧侶達がどのように昼食を食べているのか分からない。静かに静かにと歩いていると、前方からワイワイ、ガヤガヤ、ペタペタとひときわ音を立てた集団。講堂の前でもはばかり無くそのまま通り過ぎていった。聞くとはなしに聞こえたそのワイワイは、単なる世間話。ここがどこだか知っているんですか。お話をするのならばせめて、永平寺に関することにして欲しいよ。まったくぅ。 |
お昼を終えた若い僧侶達が並んで、渡り廊下を走るような早さでやって来た。目の高さにおひつのような物を布に包んで掲げている。
そして、大庫院に入っていく。ここは食事を作る場所。大きな声で挨拶をしているのが聞こえるが、ここは見学者は入ってはならない場所。
近年改修した場所と昔のままの場所とが入り交じった所に陽が当たると、何とも不思議な雰囲気を醸し出す。
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どうしてこんなに大きなお堂なんだろう。昔の人はどうやってこれを作ったのだろう。こんな風に木造の大きな建物を見ると、心が落ち着いてくるのはなぜだろう。
約1時間の見学でした。胸にツアーのバッチをつけた人と随分とすれ違ったけど、あの人達はここにはどのくらいの滞在時間が有ったのだろうか。急ぎ足だったんだろう。禅寺のいいところを感じ取れたのだろうか。私も座禅を申し込めばよかったかな。先日の日経新聞には中高年が訪れたい古寺として二位になっていた永平寺。どんな思いで見ていたのだろうか。外に出るとみぞれが降っていました。傘が無ければダメだ。仕方なしに傘を出して、駅の方に歩いていく。
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