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知る権利も知らせる権利も義務も有るかもしれない。でも、最近の報道を見ていると、本当にこれでいいのかな、と思ってしまう。
個人の責任は私も強いと思う。危険ですよ、危ないですよ。と言うところに出向くにはそれなりの覚悟が有って行ったのでしょう。
家族は国策を押しきっても助けてください。って言うのもわかります。でも、もしかしたら、帰ってきてから当の本人たちは、覚悟の上でした。と言うかもしれない。
ただ、一報を聞いただけでわからない家族の話をそのまま報道、混乱状況でいろんな事を口にしたのかもしれない。生きたまま焼く。と言われれば混乱もするだろう。
その後も変わっていなかったのには驚いたが。いろんな批評は見るたび、聞く度にもっともだと思っていた。
でも、その家族の年齢や職業をどうして流すのだろう、なんの関係が有るのだろうか。今週発売される、週刊誌の見出しだけを見ても、そこまで書くのか。ってタイトルが多い。
無事に解放されたことは喜ばしい。しかし、今回人質にされなければ、表に出なかった、他人に知らせなくていいことが、今後も沢山有ること無いこと、噂も含めて出て行くのだろう。
田中真紀子氏の娘が私人のプライバシーを縦に取ったわけですが、彼らの立場はどうなるんだろうか。個人攻撃でズタズタにされないことを祈る。
出版の検閲を賛成する訳じゃない。でも、いくら報道の自由だと言っても場をわきまえた報道をして欲しい物だ。文字ならばまだ訂正も聞くが、流れ出た映像と音声は消せない。
プライバシーなんて知りたくはないけど、どうして捕らわれ、どうやって解放されたのかは知りたい。
いくら残虐な場面は報道していません。とテレビ局が言っても、捕らわれたときの映像にも解放されたときの映像にも、彼から緊迫感や緊張感を感じられなかったのは私だけだろうか。
確かに映像は瞬間の切り刻みだから、事実も曲がって伝わっているのかもしれない。でも、自分がどんな状況になっているかと言うときに、あの様な感じになれるのだろうか。いったい、この人質の本当の理由は何だったのか。
一部で報道されているように、自作自演なのか。世界で最も反日敵なのは一部の日本人だ。とも言われている。今後の真実の追求の報道は楽しみだ。
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先日の続きじゃないけど、ある意味「戦後の日本はアメリカに追いつけ追い越せ」で来たわけです。
でも、アメリカが間違って選んだ道までもまねしなくてもいいように思う。
そして今、韓国や中国が同じ道を歩もうとしている。
戦後アメリカにだまされて、今の道を歩んで来たと言うことは、もうずいぶんな人が感じていると思う。アメリカの日本つぶし戦略にまんまと引っかかったのです。戦争で肉体的にこてんぱんにされ、戦後は精神も曲げられてしまったのです。
山椒は小粒でピリリと辛い。そんな日本人は怖い、と今までの風習、習慣が悪いものだと決めつけられてしまった。食生活までも操られた。
7年間の占領期間が終わったときに、元の日本の生活に戻そう。と言った人もいたそうですが、握りつぶされました。
あのとき、「そうだ祖先から受け継いできた日本を大事にしよう。」とお金に負けずに心で選んでいれば今の日本も少しは違っていたことでしょう。
戦後も60年、今更昔にもどしましょう、と言ったところで戻りはしない。でも、今のままでは今後の日本はどうなるんだろう。
国を信じない者がそこに存在するっておかしい。宗教やいろんな色に染まるのは自分の意志。それを学校で示すのは変、どうし教育の場で日の丸を拒否するのだろうか。
自分本位な人ばかり、自分さえよければ人に迷惑をかけても何にも感じない。しかし、その逆だったら、自分が悪くても、人のせいにする。
後から法律が追いかけていくが、罰則を作ったところで何が変わるというのだろう。捕まらなければ何をしてもいい。と事は大きくなっていく。
共同意識、連帯責任、年の功。そんなものはどこへ行ってしまったのか。アメリカを追いかけて来たけど、違うのは、宗教が有ることと、懲役が有ること。階級社会であること。
連帯責任や自分より経験のある人の意見を聞く事を教えるためにも懲役はあっていいのかもしれない。と思うようになってきた。
生ぬるい水の井戸の中で自分が一番偉いと思っている家庭の子に、階級社会が有るんだ、と言うことを教える場が有ってもいいと思う。
親や大人が子供の教育を出来ないのならば、何かを考えなければ。
ここのところのニュースを見ていると、本当にそう思う。
命の尊さも、生きていけることの感謝の気持ち、お互いに助け合う精神、教え合う気持ち。そんなものはどこへ行ってしまったのでしょうか。
「おかげさまで。」ってよくおばあちゃんが言ってました。「いつまでもお元気ですね」「はい、おかげさまで」病気が治った、学校に受かった、何かが買えた。別に、話の相手のおかげで無くても、おかげさまでって言いました。
子供の頃はなんか変だな、あの人が机を買ってくれた訳じゃないのに。と思ってました。相手のおかげじゃないんですよね。お天道様とか森羅万象とか、自分がきちんとやっていたから、守ってくれたものがあるから、出来たこと。
ところが、辞典を調べても、相手が何かをしてくれたお礼の言葉ってなっている。まぁ、それもひとつでは有ります。
でも、何か見えないものへの感謝も必要なんですね。そんな、他人への感謝の気持ち。覚他の精神。お互い様という気持ち。どこへ行ったしまったのでしょう。
私は無宗教。最近ふと、学校も大人もなにも教えないのならば、宗教が教えてもいいと思う。昔の様に辻説法なんてないのかな。私も聞きたい。
最近の物事を見聞きしていると、疲れる。
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ここのところ、目や耳を伏せたくなるようなニュースばかり。どうしてこうなってしまったのでしょう。なんか世間に目を向けるのが嫌になってきました。
まるで、20年ほど前のアメリカの事のようだ。と感じている私です。膝にコーヒーを挟んで運転をしたらコーヒーがこぼれてやけどをしたのはハンバーガー屋のせい。洗った犬を電子レンジで乾かしたら犬が死んだのはメーカーが説明をしなかったのがいけない。と裁判を起こすのである。
今だって、たばこを吸いすぎて癌になったのはたばこメーカーが悪い。食べ過ぎて太ったのはそれを売っているところが悪い。自分は全く悪くないのである。少し考えればわかることでも、考えないのか、わからないのか。
常識的に考えれば絶対的にユーザーがおかしいのに裁判になってユーザーが勝った事が多々ある。電子レンジの取説には動物を乾かさないようにと書いて有るという。
あのときの日本から考えたらなんてばかげた事と笑っていたけど、今の日本でも起こっている。考えられなかったことで訴訟が起きているのだ。
安全なはずの公園で事故が起こりましたとアナウンサーが言ってましたが、安全なはずってそうかなぁ、と思ってしまった。
壊れるかもしれない、手を挟まれるかもしれない。ってどうして大人は教えないのだろうか。そんな事考えないのか。
それで、事件が起きたら管理が悪いとかいろいろ。確かにそうかもしれない。でも、何かが違う。考え方のレベルが違うのだろうか。
何かが起きるたびに管理を疑い、そのものを撤退させていたら何も出来なくなってしまう。
小さい子供の手を引いて歩かない母親をよく見ます。母親事態がいろいろな怖さを知らないのだろうか。事件が起こってから初めて気づくケース多いようだ。
自分の子供は自分で守る、怖いことを教える。ってどうして出来ないのだろう。ファミレスでうるさくかけずり回っている子供。うるさいのは人に迷惑。自分たちには被害は無い。でも、もし、ウェーターが運んでいるところにぶつかって、熱い料理が子供に降りかかったらどうなるんだろう。
日本は信頼の世界で、アメリカは契約の社会だという。今の子供は約束をしないと遊べないという。学校で約束をしたから、帰ってきてから遊ぶのであって、約束が成り立たなければ遊べないという。
私たちの頃は、放課後校庭でゴム飛びをやっていたら「まぜて」と仲間に入ったり「やらない?」と声をかけていた。確かに嫌な奴にまでは声はかけなかったが。
帰ってから近所の子供たちが缶蹴りをしていたら「仲間に入れて」とか「一緒に遊ぼう」って遊んだ。
夏休みなどは、近所に遊びに来た親戚の子までが仲間に入って、泥巡だ、馬跳びだ。ってやっていた。
確かに、今の子供たちは忙しくて遊んでいる暇は無いかもしれない。でも、余ってしまった子だっているはず。その子たち同士が出会うことは無いのだろうか。
自分たちだけの世界が出来てしまっているのだろうか。
話がずれてしまったかしら。でも、最近のいろんな事は、なにかがずれて起きているように思う。子供が親を殺したり、親が子供を虐待する、死なせてしまう。なんでだろう。理性が無いのだろうか。そういえば、虐待もアメリカではずいぶん前から問題になっていたことです。アメリカで起きたことを何も何十年後にその道を行かなくてもいいようなもの。どうなるか見本がいるんだから。
電車の中で化粧をするのは、前頭葉がやられている。とどこかで発表されていたけど、やっぱりどこか伝達機能がやられているのだろうか。
では、どうしたらいいんだろうか。古き良き時代の日本と今の日本は何が違うのだろうか。古き時代が全面的にいいわけでは無いけど、少なくとも体力と根性、おかげさまの精神は有ったはずだ。
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ここのところ、横浜駅や上大岡からバスで20分ほどのところに行く事が重なった。
びっくり、まるでタイムスリップしたようなのどかな場所が有った。畑があり、農家があり、土が見えている。高いビルもマンションもほとんど無い。うーん、なんか懐かしい風景。これがあの雑踏から数キロ離れただけのところに有るのだ。
高度成長期に開発は三浦半島の突端まで行って、都会のベットタウンとして変貌していった。私が住んでいたところも山がどんどんと崩され、トラックが砂煙を上げて毎日走っていた。どこかで工事をしているのが当たり前だと思った。家や鉄筋アパートがどんどん建てられた。そして、マイホームを買った人たちは電車で何時間も掛けて会社に通ったのだ。
横浜とか近郊もすべて開発されていたのかと思っていたが、違っていた。横浜が町になり市になったのがいつだか忘れてしまったが、昔昔、横浜村といい、横浜の田舎者が。と言われていたことはやっぱり本当なんだ、と思ってしまった。ちゃんと農業をしていたのだ。
ただ、拡張されない狭い道に車がひっきりなしに通りバスも通る。歩道も満足に無い道はあるくのには本当に怖い。車が通らない道のまま、今になっている。
開発されなかったのか、ここらの地主が土地を手放さなかったのか。横浜にもまだまだそよ風が吹く場所があると言うことがわかっただけでも、なんか心がほっとした。
今日の夕食
五分搗き米。みそ汁{豆腐、ワカメ、ネギ}。
鯵の丸干し。ひじきの煮物{ひじき、にんじん、椎茸、油揚げ、金針菜、くこ(出汁、酒、みりん、醤油)}。
ワカメの酢の物風サラダ{ワカメ、ワカメの茎、キャベツ、ちりめんじゃこ(酢、醤油、ごま油)}。
春高バレーの決勝戦は放映された。今日は家で仕事をしたので見ることが出来た。本当に高校生がやっているの?って言うくらいレベルが高い。見ていてVリーグの試合を見ているのでは無いかと思ったくらい。粘って拾って打って。さすがに決勝戦に出てくる学校だ。と思ったけどやっぱり他の試合も見たかった。
高校生のこんな姿を見ていると、日本もまだまだ捨てた者じゃないな。と思う。インタビューの受け答えもさわやか。こんな姿を見ると、すぐに思ってしまうのが、この子たちはどんな物を食べているのだろうか、って事。
普段、目に入ってくる若者の行動はグダグダ、よれよれ。ジベタリアン。もっとしゃんとしろよ。って言いたくなるような仕草。テレビに映っている若者とはあまりに違いすぎる。
先日は筑紫さんが23で、学校給食の事を言ってくれた。その前には国会で中村議員が米飯給食の事を発言した。
ここのところ、食についても安全問題が取りあげられている。自給率の話しも取り上げている。日本人らしさに付いても言われてきた。いい傾向だと私は思っている。
食べ物が変わっていけば、今日見たような目的を持って目を輝かせる若者が増えて行くと思う。学力が低下している、考える力がない、体力が無い。骨折しやすい。昔よりいい物を食べている、沢山食べている。はずなのに、どうしてこんなにもいろんな物のレベルが下がっているんでしょう。
やっぱり、今食べているものがいい物じゃないんだよ。と、もっと沢山の人がそこに気づけば、いろんなレベルも上がって来ると思う。
一部の特別な人たちだけがレベルアップすればいいんじゃない。みんなでレベルアップしないと。いや、まずはレベルアップではなく、元に戻すだけかもしれない。
今日の夕食
五分搗き米五穀米入りご飯。みそ汁{豆腐、ネギ、ワカメ、油揚げ}。
カボチャの煮物{カボチャ(出汁、酒、みりん、醤油)}。
酢の物{ワカメ、ウド(酢、醤油、塩)煮豆{金時豆(塩)}。
今年も春高バレーが20日から始まった。私は中学の頃からこの大会のファンです。将来の全日本選手も沢山出ているんです。今年はもう全日本に入っている選手もいたりして。
しかし、結果を新聞でしか見るしかない。ニュースでも結果を見たことがない。衛星放送だろうかデジタル放送かとテレ番を見ても見つからなかった。
23日から始まった野球は同じ高校生なのに、全試合放映。あまりに違いすぎる。
昔は、午前に1時間、夕方に2時間くらいの放送はあったのだ。学校から帰ってきてから夕方の放送を見た。会社に行くようになって、当然夕方は見られなくなった。そして、いつの間にか放送もされなくなっていた。今でも、決勝戦くらいはやるのだろうか。
日本のバレーが世界に勝てなくなってから、どのくらいになるのだろう。あのころは全日本が強かった。オリンピックの常連であり世界大会では常にメダルを取っていた。この前はオリンピックにさえ行けなかった。今回もまだ権利を獲得していない、これからまだがんばらねば。
Vリーグなんて名前を変えてJリーグと張り合ったのかもしれないけど、強くなければ人気も無くなり、放映もほとんどされない。東京オリンピックの時から花形スポーツだったのだ。あまりに寂しい。またなんとか復活して欲しい。
産経グループさん、少しでいいからテレビでやって欲しい。確かに、昔放送していた時間は再放送枠。今はワイド番組などが組まれているから、難しいのだろうか。
でも、将来の有力選手を出すためにも、高校生スポーツは何であろうと結果ぐらいはテレビでやって欲しい物だ。卓球もずいぶんと見ていなかったが、愛ちゃん効果でマスコミによく出るようになった。彼女も高校生。これからの放送が楽しみだ。
今日の夕食
五分搗き五穀米入り。肉団子汁{大根、にんじん、椎茸、ジャガイモ、キャベツ、肉団子(出汁、泡盛、塩、醤油)}。
タマネギ納豆{納豆、タマネギ、鰹節}。キャベツの浅漬け。
肉団子はひき肉にネギを入れ、醤油、生姜、泡盛で味付けつなぎは片栗粉。なんて美味しいのだろう。今日も食べ過ぎてしまった。
ここのところ、国会中継をよく見ている。なかなか面白いが、国を動かしている人たちなのに、本当に知らないことが多いらしい。
大臣がこんな事もしらないのか。と。先週は年金の未納についてもやっていたが、滞納率やどんな状況かも把握していないらしい。
そのうえ、あの江角さんが未納だったとは。未納者にあのせりふを言わしていたのだ。調べたと言っていたが、4割もの人が滞納していると言うのに、払っているのが当たり前。と言う気持ちが有ったのでは。
まぁ、それはいいとして、だって本人が気づいて2年間にさかのぼって払ったと言うし、もらえないのは自分だし。
あの、変なCMに6億もの年金が使われていることに驚いた。それでなくても、無駄遣いが問題になっているときに、なんでそんなにお金を使うのだろうか。それを、社会保険庁は…と説明していた。
グリーンピア、私が若い頃には安くてきれいな公共の宿だった。と言っても泊まったことはなかった。それが閉鎖しても年間何億の維持費がかかっているという。
根府川のスパシオには行ったことが有ったが、バブリーな建物だった。なんでこんな設計なんだろう。計画したから建てた。って感じ。案の定、破綻した。
お米の消費をあげるために、米粉でパンを作ったり、クッキーを作ったり。そのキャンペーンに忙しいらしい。そのお米の消費のために農水省提供のテレビ番組があって、それにも億のお金が動いている。先日この番組を偶然に見たが、あれではお米の消費は上がりそうにない番組だった。
もっと簡単にお米の消費をあげることは有るのに、あまりに世間知らずの先生方のは思いつかないらしい。
人のお金だからどうでもいい、って感じがして仕方ない。
小学校のころ、日本はこのまま行ったら人口がどんどん増えて日本からあふれ出してしまう。と日本に隙間が無いほど人が立っているイラストが新聞に載っていた。なぜか鮮明に覚えている。私はきっとこんなには増えないだろうな。と思ったからかもしれない。
あのときのままに年金の事を考えていたのだろうか、人口が増えれば年金は余ってしまうから、余暇の充実のために年金を使いましょうって。いいけど、もっと真剣に運用を考えて経営をして欲しかった。出生率が下がったときに見直して欲しかった。
今は、平均寿命が伸びて伸びてと言うが、明治、大正生まれの人が亡くなっていけば、その後はどんな世界が来るか考えているのだろうか。本当にもっと真剣に日本の将来の事を考えて欲しいよ。自分の財布とおもって考えて欲しい。
国会中継を見ていると、なんだかなぁ。と思ってしまうことが多い。そんなことよりもっと早くにやらないと、ほんと日本は崩壊してしまう。
今日の夕食
白米五穀米入り。みそ汁{大根、豆腐、にんじん、ネギ、大根の葉、生姜}。
刺身{マグロの頭身、〆アジ}。納豆{納豆、ネギ、鰹節}。
昨日20度、今日22度。今朝は前の桜が咲いた。ベランダのフリージアも咲いた。花壇のパンジーも満開。でも、今日はまだ3月18日。なんか変。
さまか、卒業式シーズンに桜が咲くようになるとは5年前でも思っていない、いったいどうなってしまったの。これも地球温暖化。って事なのね。
それに桜の開花は完全にドーナッツ現象。都市の温暖化が進んでいると言うことでしょうか。このままではどうなっていくのだろうか。地球。
そして、午後になったら気温はどんどん低下。昼間はジャンパーを脱いでも汗をかいて昇った階段をジャンパーの襟を立てておりてきた。
行きの電車の中は季節はずれの冷房。そして帰りは暖房。その上待ち合わせの電車は真ん中のドアは寒さ予防で開かず。外気温は6度だという、なんか変。
駅前で信号待ちをしていたら、なんか変。あっ、駅前の7−11が閉まっているのだ。あの店にもシャッターがあったのだ。閉まっているのを初めて見た。
改装のため一週間の休業だという。近くのスーパーが深夜営業を始めたので、やっぱり売り上げ対策に何かをするなだろう。
それにしても、いつも開いていて煌々と光を放っている物がしまっているのはなんか変だな。でも、本当は夜は閉まる方が環境にはいいはずだ。人間の身体を考えて保存料を止めたのなら、次は地球のいのちも考えて欲しい。
80年後の日本はどうなっているのだろうか、80年後の地球はどうなっているのだろうか。自分が生きてはいないから、知らない。って事には行かないと思う。入学式に桜が咲いているようになって欲しい。
昨日から買おうと思っていた。昨日の車内吊りで見てから読みたかった。発売は昨日かと思って駅に着くなり本屋に入ったが、どうも内容が違う。先週号だった。発売日は水曜だった。
今日は午後から出かけるので、そのときに買おうと思っていたら午前中の報道番組で出版禁止の報道。
何も田中真紀子の私生活に興味が有って読んでみたかったわけではありません。長嶋さんの2500円の水の正体を知りたかったのです。いったい何なんだろう。
長嶋氏は倒れてから毎日の報道。そして詳しくは見ていないが、健康には気を付けていた。食べるものにも気を付けていたと言うことがなんとなく、耳に入っていた。
何をどう気を付けていたんだろうか。非常に関心が深い。世間では健康に十分に気を付けていても病魔が襲うのだから、何をしても仕方ないのか。どうせ病気になるんだ。とも話している。
それでは、その気を付けていた。と言う実態はどうなっているのか、興味津々な私なのです。
名誉監督とうい人がキャンプ視察にやってくれば、なんの接待も無いことはない。お昼だって何を食べていたのだろう。朝だって、ホテルで何を食べていたのだろうか。
週の内4日もどこかのキャンプを回れば当然、豪華な食事では無かろうか。きなこヨーグルトぐらいじゃ追いつかない。いくら気を付けています。と言ったって、出先でもそうしていたのでしょうか。肉は余り食べないようにしていたと言っても…
普段も3食とも外食になることが多かったとも聞いた。どんなお店で食べていたんだろう。
ここ数年の赤くなってきた顔色と少しずつふくよかになっていた体型。赤い顔は心臓に注意いって信号らしい。
健康に食事に気を付けています。ってどう気を付けていたかが問題。お金を掛けることだけが気を付けていたという証拠ではない。
夜になって見ると、一部のコンビニでは売っていたという、あーあ、本屋には行ったが今日はコンビニには行かなかったのである。
今日の夕食
玄米五穀米入りご飯。みそ汁{ニラ、油揚げ、ネギ}。
野菜の炒り煮{れんこん、こんにゃく、にんじん、長いも、椎茸、エリンギ、インゲン(出汁、酒、みりん、醤油)}。昆布の佃煮
いろいろ事前には言われていたが、結局はたった一度の失速で判断されたのだろうか。受験もどんなに実力が有ってもその日に失敗すれば受からない。たった一度の調整不良で不合格、そういうことなんだろうか。
確かに、あの日の姿を見たときにどうしてしまったのだろうか、肉はどこは行ったの。そんなにガリガリになってスタミナは大丈夫なの、と言う身体になっていた。そして、35キロから失速してしまった。
初マラソン初優勝というのをビギナーズラックと考えるのはおかしいかな。何もない初めというのは緊張感は有ってもプレッシャーはそんなに無いはずだ。次にまた勝てばそれは本物。前に勝てばまた勝てねば、前より1秒でも記録を縮めたいと、プレッシャーが掛かることだろう。
その人がもつ本姓、底力は誰にもわからないのか。何が基準なんだろう。結局誰も20分の壁、いや22分も破ってはいない。
しかし、東京国際の前から彼女は何かが違っていた。走ることが楽しい、結果として勝ちがある。と言いながらもどこかに勝ってやる。って有ったのに、それが無くなっていた、どうしたのだろうと心配していた。
今までも混沌として選ばれた選手で誰がメダルを取ったのだろうか。みんな勝たねばならない、メダルを取るしかない。と言うプレッシャーに負けてしまった、入賞すらしなかった。シドニーの時も日本が金を取ったからいいようなもの。後の二人はどうしたの。
誰が走ることが楽しいからベストを尽くす、と言って走ったと言うのだ。
あとは、プロなんだから稼げるレースにでて日本陸連を見返して欲しいとも思う、なにもプロなんだしオリンピックだけがレースの場ではない。
まぁ、仕方ない、彼女が出たからとメダルが絶対に取れる訳ではないのだ。選ばれた3人はプレッシャーに負けることなく、調整を間違うことなく、自己ベストを出して欲しい。夏のアテネは暑いらしいが、そしてメダルも取って欲しい。1,2,3ゴールなんて事は無いだろうが、願う。
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